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110年前の女学生の日誌  2022年11月23日 [歴史]

「三年三組浅田あい」の日誌。


和紙数枚を綴じてあり、毛筆で丁寧に書かれている。日付はあるが何年のどこの学校なのか記載はない。何のための日誌なのかもよくわからない。日誌表紙s.jpg日誌表紙 冬季休暇s.jpg

とにかくめくって読んでみる。

2月10日、11日の記述。
桂公」「内閣総辞職」 
おお、これはどうやら大正政変のことではないか。1913(大正2)年。年代が特定できた。


日誌には「東京市民の憤激」「新聞社焼き討ち」「巡査ついに抜剣」「即死者」等々の文字が踊る。桂公が総理にs.jpg

毎日、新聞はよく見ているという「浅田あい」ちゃん。

朝、「号外を見ていたらまた号外」。
巡査抜剣s.jpgまさに日比谷焼き討ち事件を彷彿とさせるような大暴動に発展していることがみてとれる。

教科書的には第一次護憲運動における政党政治家やジャーナリズムを中心とした国民世論の盛り上がりに記述の力点がおかれ、深刻な治安が乱れた事件という印象はあまりない。

だが実際は政権にとって危機的な物情騒然とした事態であったのだ。結局第三次桂内閣は50日余りで退陣を余儀なくされた。桂太郎は〝内乱の危機〟を説かれて自ら身をひく決意を固めたといわれるが、決して大げさではなかったことがわかる。

第一次護憲運動、大正政変をやるときに使えるナマの史料だ。
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さてところで、他に何かプライベートな年頃の女の子らしい記述でもないかと好奇心をそそられるが、残念ながらそれはない。

2冊の末尾を見ると、誰かが朱で「よろし」「美」とか書き込んでいる。
なかなか女学生の日誌っぽく可愛らしい。終わり 美s.jpg終わり 美s.jpg

どうやら朱書きは教員のようだ。この日誌は学校に提出するものなのだろう。女学校では長期休暇に限らず、ふだんから日誌の提出を生徒に義務づけていたということだ。当然差し障りのあることをわざわざ書くことはない訳だ。

だがそれでも、「早、試験」「ああおそろしい」とか、明日の化学の試験を延期するよう組長(今のホームルーム委員だろう)が交渉して認められたとか興味深い記述もある。

他にも女中さんがいること(いい所のお嬢さんなのだろう)、「今日はわたしの誕生日」で赤飯を炊いたこと、2月3日が誕生日で「私は16の少女となりました」などとも書いてある。

つまり16歳で3年生ということになる。当時の学校制度が判然としないが、この頃の女学校は今の中一から高一高二くらいのようだから来年卒業か。

「卒業したら髪を結う」。
「浅田あい」ちゃんは、いったいどんなヘアースタイルだったのだろうか?

「音楽室はハイカラ式」「先生、間食は大層悪いと云ふ事はよく知ってはおりますけれど私はどおしてもこれをつづけることは出来ません」「学校へ帰りましていただくお菓子の味」。間食は悪いs.jpg


いろいろ当時の女学校の様子がうかがい知れて面白い。




全体に目を通すとどうやら京都在住のようだ。何という学校かはわからないが、ちゃんとした東京弁の「標準語」教育が行き届いている。



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